高崎だるまとは

七転び八起き、開運・福だるまの200年

だるまの鶴・亀・金文字

群馬県高崎市豊岡・八幡地域を中心に、張り子のだるまづくりが始まったのは、今から200年以上も前のこと。「眉毛は、鼻から口ヒゲは」縁起の良い二つの動物をお顔に表現した高崎だるま。別名「福だるま」「縁起だるま」とも呼ばれています。

上州(群馬県)は昔から、養蚕が盛んな地域。蚕は繭を作るまでに4回脱皮しますが、蚕が古い殻を割って出てくることを「起きる」といいます。 その言葉にかけて、養蚕農家では七転び八起きのだるまを大切な守り神として、奉り続けてきたのです。

また、上州は昔から、だるまづくりにとても適した土地と言われてきました。紙を張る、色を塗る・・・ そんな一つひとつの行程の中で、上州名物からっ風と乾いた空気が、大きな威力を発揮するのです。まさに、高崎だるまは、職人の技と上州の風土が生み出した芸術作品といえるでしょう。

年間約90万個(平成 年 組合調査)のだるまを出荷し、その数は全国の張り子だるまの大多数を占めると言われる高崎だるま。今日も多くの職人たちが、人々に幸せをもたらす福だるまを、一つひとつ心を込めて作り続けています。

群馬県高崎市豊岡・八幡の周辺地図

愛され続ける理由

だるまが、単なる縁起物として作られていたのであれば、これほど多くの人に親しまれていなかったかもしれません。

養蚕農家の多かった北関東では、養蚕の大当たりを祈願するため、縁起だるまを守り神として祀るようになりました。蚕は、繭を作るまでに4回脱皮します。その時、動かなくなった蚕が古い殻を割って出て動きだすのが、目を覚ますように見えることから「起きる」と表現していました。そこで、七転び八起きで勢いよく起き上がるだるまと、元気よく起きる蚕をなぞらえ、養蚕の大当たりの願かけが行なわれるようになったのです。

養蚕の守り神として祀られるようになっただるまは、やがて一般家庭へと広まり、さまざまな願かけが行なわれるようになっていきました。

達磨大師※ の分身として、また、堅実なる信仰の中心として神棚に祀り、思い思いの願いをかけながら、片目をいれる。その願いがめでたく成就したら、残りの目を入れて感謝をする。

だるまが長い間愛され続けているのは、置物でもなく、飾っておくだけの縁起物でもなく、手を合わせる対象であるからです。そして、目標を達成するための向上心を常に高めてくれる存在だからなのです。

※達磨大師 「だるまさん、だるまさん」と親しく呼んでいるその実態は、菩提達磨円覚大師というお方です。達磨大師は、今から1600年ほど前、南インドに生まれ、布教伝道のため中国へ渡来し禅宗の基礎を築きました。「一華開五葉 結果自然成」 達磨大師が残されたこのお言葉は、「一つの華から美しい五枚の花びらが開き、それがおのずから立派な果実を結んでゆく」という意味で、開運吉祥・心願成就を表す大変おめでたい語といえます。 「本来の自己に目覚めて、それを花びらのように開けば、果実が自然に実るように、おのずから大安心の境地に到れる。」という意味も込められており、「自分自身の華を開き、心豊かな人生を歩んでほしい」という達磨さんの願いが込められているといえるでしょう。