高崎だるまの歴史

高崎だるまの年表

年代
高崎だるまの社会的変遷
1697年(元禄10年)
東皐心越禅師を開山と仰ぎ、その弟子・天湫法礼が開創。少林山達磨精舎(達磨禅利)といわれた。
1726年(享保11年)
水戸家から「三ツ葉葵」の紋所と「丸に水」の徴章を下賜される。
1732年(享保17年)
10月6日、正式に寺格が昇格し、少林山鳳台院達磨寺となる。
1783年(天明3年)
夏、浅間山の大噴火。関東一円に火山灰。
天明の大飢饉となる。
1789〜1800年
(寛政年間)
東獄和尚が型を彫って、山県友五郎だるまを作り始める。

1804〜1817年
(文化年間)
町人文化の全盛期。
商人の台頭(絹織物着用など贅をつくす)。
養蚕業が地方により盛んになる。
1859年(安政6年)
横浜開港。
海外へ生糸・絹織物輸出はじまる。
関東をはじめ、全国に養蚕地帯が拡大し、養蚕農家が増大。
高崎だるまの蚕大当たりが売れる。
1866年〜 (明治初年)
少林山達磨寺のだるま市が本格化。
1882年(明治15年)
高崎線開通
1884年(明治17年)
川崎大師に初めて高崎だるまが進出。
1887年(明治20年)
信越線(横川〜軽井沢間アプト式完成により)開通
1893年(明治26年)
だるまを売るのに「物品、小売営業」という村役場発行の鑑札が使われた。
1915年(大正4年)
製造業者40数戸、売上額3万円に激増する。
碓東達磨製造業組合を組織する。
1924年〜
(大正末期、昭和初期)
リヤカー・自転車が導入され、各地の市へ行くのにリヤカーに積んだだるまをリヤカーで運ぶ。
遠い市には、だるま屋が何人かで組になって、貨車(列車)に丸籠を積んで送った。
1945年〜(昭和20年代)
戦後の国税不足から、だるま製造業者にかかる税金が高く、税務署員の調査対策に役員は苦慮した。
この頃、自転車にエンジンのついたトヨホーターが出まわり、リヤカーにだるまを積んで市に行くのが楽になった。
1955年〜(昭和30年代)
この頃、オート三輪車(自動三輪車)が利用されはじめ、だるま市へ行くのに楽々と運べた。
1955年(昭和30年)4月
初めて 必勝だるま がつくられる。(選挙)
1965年〜(昭和40年代)
この頃から、自家用トラック(貨物自動車)を購入して、だるま市へだるまを運ぶようになった。
1997年(平成9年)
開山東皐心越禅師の300年記念。
達磨寺の総門建立される。
2001年(平成13年)
群馬県達磨製造協同組合員66名。
2011年(平成23年)
群馬県達磨製造協同組合員60名。
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