高崎だるまの歴史

木型に見る高崎だるまの変遷

高崎だるまの昔ながらの制作方法は、木型に紙を重ねて貼り、乾いたら型から抜く「張り子」と呼ばれる手法です。

本市が全国でも類を見ないだるま職人の町となったのには、ある一人の型彫りの名人の存在があります。元金沢藩士の葦名鉄十郎盛幸がその人です。皆から「だるまの型彫り鉄つぁん」と呼ばれていました。
初期の頃は、顔の下の部分に棒のような衣線が彫られていました。横浜港の開港で、シルクの輸出が盛んになると、養蚕業も全国的に広がっていきます。鉄十郎は繭の形にこだわる人たちの声を参考に丸みを帯びた型を作りました。

そして、縁起の良い「福入」の文字が書けるように、衣線の間隔を少し開けました。この型が踏襲され、現在の高崎だるまに至っています。

初期の木型は、中央に衣線がある
初期の木型は、中央に衣線がある

明治中期以降の型は、中央の衣線がない
明治中期以降の型は、中央の衣線がない

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