8月9日 高崎だるまの日

高崎だるまの日制定 群馬県達磨製造協同組合

平成30年 群馬県達磨製造協同組合では8月9日を『高崎だるまの日』と制定いたします。

組合結成から100余年、平成最後の年に高崎と高崎だるまの更なる発展を祈念して

毎年8月9日を『高崎だるまの日』とします。

 

8月9日・高崎だるまの日制定理由

高崎だるまは、昭和30年の高崎市との合併まで豊岡だるまと呼ばれ、江戸時代の後期、文化・文政年間の頃に上豊岡村の山縣友五郎によって生み出されました。

友五郎は若き日に人形職人を目指して、武州や江戸の人形店に修行に行ったとのことです。当時江戸では疱瘡除けにだるまが売られていました。友五郎はその当時売られていた江戸だるまに接し、郷里である上豊岡村にそれを持ち帰り、自らもだるまを作り始めたとのことです。

友五郎は、高崎田町初市の賑やかな街中でだるまを売り、脈々としてその技法を伝承してきました。

また、江戸幕末から明治に入り、だるま木型彫名人の葦名鉄十郎盛幸が上豊岡村に住み着き、生涯で何百体ものだるま木型を彫ります。

この木型彫名人と言われた葦名鉄十郎盛幸も高崎だるまの歴史の中で大変重要な働きをしました。この人が木型彫りを始めたことで豊岡地域を中心に沢山の職人が育ちます。全国には青森から沖縄まで沢山のだるまの産地がありますが、そのほとんどが後継者不足に悩み廃業して伝統を途絶えた産地もあります。

山縣友五郎のだるま作りの技法と木型彫り名人の葦名鉄十郎盛幸、そしてその後木型彫りを継承した松本由松親子のおかげで、私たちの郷里は、全国に類のないだるまの産地へと繋がりました。友五郎が江戸の昔ただ一人始めただるま作りは、時間をかけて育まれ、人々に根付き、子々孫々と受け継がれ、先人たちの努力で「だるまの里」と言われるようになりました。

私たちは、こうした歴史の中にある先人の想いを決して忘れてはならないと考えます。また、先人たちの努力の積み重ねに感謝をしていきたいと考えています。

今や高崎だるまは、全国のだるまの産地を牽引し日本を代表する文化として海外でも紹介され、故ダイアナ英国皇太子妃が来日の際には高崎だるまに願いを込めて目入れを行いました。ローマ法王パウロ二世が来日した際にも高崎だるまがプレゼントされました。

万国博覧会でも日本館の中で高崎だるまが紹介され、実演コーナーも設けられました。欧米では、禅の教えや文化の広まりの中で縁起だるま、福だるまの高崎だるまに興味を持つ人が増えています。

東南アジアの仏教圏、特に台湾や中国などでも関心が深まり、平成27年からは両国での商標登録を受けています。

 

国内では、群馬県指定のふるさと伝統工芸品の認定を受け、地域団体商標登録「第5003697号」で『高崎だるま』として全国唯一だるまの地域ブランド登録を行っています。

群馬県ふるさと伝統工芸士には現在5人が選ばれ認定を受けています。

また、坂本 九さんは、だるまの里を訪れ組合員の皆さんとの親交を楽しみました。棟方志巧先生も高崎を訪れ高崎だるまの作品を残しています。

高崎だるまは、鶴・亀の縁起の良い髭の形から縁起だるま、左目、右目と願いを込めることから祈願だるま、お腹の福入の文字から福だるまとして親しまれています。これからも、縁起の良い町・高崎のシンボルとして、市民、県民、国民の皆さんの心に寄り添い大切に育んでいただきたいと思います。

そして、世界中の皆さんに幸せが訪れますように願います。

私たちは、先達に敬意を払い、山縣友五郎の亡くなった8月9日をだるま作りを受け継いだ日として「高崎だるまの日」と制定し、高崎だるまを日本の文化として世界に発信していきたいと思います。